経済学方法論は [経済・方法論・テレビ]
経済学の、主として理論の構造、理論の正当化もしくは理論の経験的基礎、あるいは理論の評価もしくは理論の選択の基準などを扱う研究領域をいう。
「近代経済学」は、わが国固有の用語法によって、きわめて包括的であるから、方法論もけっして一様に論じることはできない。
経済学方法論には大別して二つの流れがある。
一つは、経済学を含めて社会科学は自然科学と根本的に性格を異にするから、両者の方法論は本質的に異なる、と考える流れであり、反自然主義とよばれる。
いま一つは、両者の間に方法の違いはあるにせよ、それらは程度の差であって本質的な違いではない、と考える流れであり、自然主義とよばれる。
反自然主義をとる方法論には、個人の行為の意味の理解を重視するM・ウェーバーの理解的方法、人間行動の規則性は自然法則よりも生活様式、規則、制度の結果であるとみて解釈の重要性を強調するP・ウィンチの方法論などがあるが、現代オーストリア主観学派への関心からとりわけ最近興味をもたれているのは、L・ミーゼスのプラクシオロジーpraxeologyである。
プラクシオロジーとは、人間行為について普遍的に妥当する知識を探究する先験的科学であり、行為の論理学であり、経済学はその一部門である。
プラクシオロジーは、「個人は行為する」という基本的公理とその論理的諸含意からなる体系であり、経済学の理論はそれらから演繹しうる、という。
人間行為の知識はわれわれの心のなかにあり、内省によってしか他人の行動は理解できないので、観察・測定しうるような客観的な社会的諸事実はない、と主張される。
なお、プラクシオロジーの主観主義は、行為者が異なると追究される目的も異なる、ということのみを意味している。
経済学は、人々の選択する目標を所与とみなし、個々人の行為が織り成す相互作用によって生み出される、意図されざる結果を探究するものである、とみる。
「近代経済学」は、わが国固有の用語法によって、きわめて包括的であるから、方法論もけっして一様に論じることはできない。
経済学方法論には大別して二つの流れがある。
一つは、経済学を含めて社会科学は自然科学と根本的に性格を異にするから、両者の方法論は本質的に異なる、と考える流れであり、反自然主義とよばれる。
いま一つは、両者の間に方法の違いはあるにせよ、それらは程度の差であって本質的な違いではない、と考える流れであり、自然主義とよばれる。
反自然主義をとる方法論には、個人の行為の意味の理解を重視するM・ウェーバーの理解的方法、人間行動の規則性は自然法則よりも生活様式、規則、制度の結果であるとみて解釈の重要性を強調するP・ウィンチの方法論などがあるが、現代オーストリア主観学派への関心からとりわけ最近興味をもたれているのは、L・ミーゼスのプラクシオロジーpraxeologyである。
プラクシオロジーとは、人間行為について普遍的に妥当する知識を探究する先験的科学であり、行為の論理学であり、経済学はその一部門である。
プラクシオロジーは、「個人は行為する」という基本的公理とその論理的諸含意からなる体系であり、経済学の理論はそれらから演繹しうる、という。
人間行為の知識はわれわれの心のなかにあり、内省によってしか他人の行動は理解できないので、観察・測定しうるような客観的な社会的諸事実はない、と主張される。
なお、プラクシオロジーの主観主義は、行為者が異なると追究される目的も異なる、ということのみを意味している。
経済学は、人々の選択する目標を所与とみなし、個々人の行為が織り成す相互作用によって生み出される、意図されざる結果を探究するものである、とみる。
update:2010年02月23日
